Have toにStop
時間というものは早く過ぎるもので
小学生の時に感じていたあの時間の感覚と
今感じている時間の感覚は
なぜこんなに違うものなのかと
小学生の時はあんなにも早く大人になりたいと思っていたのに
これからの人生もこんな感じに進んでいくのかな
というわけで
話は一転
「人生の目的」という本を読んだ
僕は自己啓発本が好きだ
人が得てきた人生経験や知識を授かることのできる
絶好の場所だからだ
この本を店頭で手にしたとき、
「人生の目的」ってなんだろう
僕の凝り固まった脳みそでは到底理解しがたいものだった
みなさんの人生の目的ってなんですか
この長いようで短い人生の中での目標って何ですか
お金持ちになって豪遊することですか
素敵なパートナー、子どもに恵まれて幸せに暮らすことですか
社会に貢献できる人になることですか
色々な考えを持つ人がいると思います
それは、自分の人生を満足させることができますか
僕が個人的に一番胸が突き刺さるような思いをしたテーマは
自分の人生を取り違えない
というもの
相手に流され自分の思うことを実行できなかったり、諦めたりすることはないですか
自分の中ではこれが「人生の目的」だと思っているものが、心の底では「誰かの価値観を考慮に入れた人生の目的」になってはいないですか
たった20年しか僕は生きていないが
そのようなシーンは何百回とあった
このテーマを読んでいる間、
伊坂幸太郎原作の、映画「重力ピエロ」で登場するガンジーの言葉がよみがえった。
You should be the change that you want to see in the world.
あなたがこの世界に望む変化に、あなた自身がなりなさい
自分の行動次第によって自分の世界は確かに変えられる
人生の目的とは話が逸れるが例を出せば、告白
一歩踏み出す勇気の違いによって、その後の自分の経験の差は大いに違ってくる
告白をできない人は、こんなことを言い訳にしてそこから逃げようとする
「あの人がいたから...あの人のために...あの人(状況・境遇)のせいで...だから仕方なかった」
全てが「あの人(状況・境遇)」
これは僕自身にも覚えがある
常に相手のことを考え自分は実行をしない
これは、人として良い事かもしれない
けれど、自分の人生を犠牲までにして相手の人生を支えるということは果たして自分の人生を満足させることができるであろうか
実はこれは、本で実感されたのではなく、母親から言われたもの
どちらが自分の人生の選択肢を増やし、豊かにし、経験として蓄えられるか
みなさんも考えてほしい
人生の目的に話しを戻すが
人生の目的を取り違える重要な原因のキーワードで
使命感「~しなければならない」
がある
この考えを一度取り消すのは決して容易ではない
何よりこの言葉が僕にとって一番苦しい
大学生中に彼女を作らなければならないとは思わないが
将来良いとこに就職しなければならないと思っている
というのも家族でこんなこと言うのもどうかと思うが、男サイドの兄貴と父は普通の一般男性より優秀だからだ
一番下の男として生まれ
良い大学に入らなければならない
就職のためにこれやこれやこれをしなければならない
兄貴のようにならなければならない
父親のようにならなければならない
兄貴や父親の背中を見て追いかけてきた
これは僕のコンプレックスでもある
しかし、みんなはこういうだろう
「お前の人生なんだから、お前が決めろ。さっき言ったことと話が矛盾しているじゃねえか」
と
しかし長年培ってきたこの
なにか重たいもの
をとるには、もう少し時間が必要みたい
※これって今考えたら違うよね、これこそ逃げてるよね、ごめんね
(書いてから3週間くらい経過)
人生はきっとあっという間
自分の探し方、見つけ方
色々考えさせてくれるはず